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年間無敗!世紀末覇王と呼ばれたテイエムオペラオー伝説

年間無敗という歴史的な快挙をなしとげたテイエムオペラオー。当時、新人騎手だった和田竜二騎手とのコンビで歩んだその伝説への道のり。今回はその伝説の道のりをまとめてみた。
馬

獲得賞金史上最多の絶対的王者

2000年、年間無敗の偉業を達成した。
伝説の始まりへ
inyofu 年明け初戦の京都記念で久々の勝利を得ると、続けて阪神大賞典と天皇賞(春)と重賞を連勝した。阪神大賞典ではテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロード、ホットシークレット、トシザブイらテイエムオペラオーと同期の馬たちが1着から5着を独占し、とくに人気の集中したテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロードの複勝馬券および3頭の組み合わせからなる拡大馬連馬券(ワイド)は全てが1.0倍の元返しとなった。また、天皇賞(春)も阪神大賞典と同様に2着にラスカルスズカ、3着にナリタトップロードが入り、杉本清からは「やっぱり3頭の争いになった!」と実況された。
天皇賞、宝塚記念を制覇しGIを連勝!
秋の天皇賞制覇へ向けて
inyofu 天皇賞(秋)では外枠の不利もあり、また当時の同レースは1番人気が12連敗中というジンクスがあり、有力馬が凡走していただけに、「何が起こるかわからないのが秋の天皇賞」という雰囲気が漂っていた[3]。また、他にも当時の和田竜二騎手が東京競馬場での勝利経験が無かったことなど不安材料などもあった。そのため、春以降2倍を切っていた単勝オッズが2.4倍となった。しかし、レースではスタート後の1コーナーで内に切れ込み加害馬となりながらも直線で抜け出し勝利した。これにより、12年ぶりの秋の天皇賞1番人気の勝利であり、史上初の中央4競馬場GI制覇を達成した。
inyofu ジャパンカップを制覇し、いざ古馬三冠へ
inyofu 有馬記念当日の朝、他馬が暴れているのを見て興奮したテイエムオペラオーは、壁に顔面を強打して鼻血[6]を出す怪我を負ってしまった[7]。岩元師は出走についての判断を迫られたが、顔面が腫れ殆ど片目が塞がった状態での出走が決断された。レースがスタートすると、逃げてレースを引っ張ると予想されていたホットシークレットが出遅れてスローペースの密集した展開となり、他馬のマークが集中したテイエムオペラオーは進路を塞がれ直線に入っても後方11番手に置かれたままであったが、坂を下り終えた辺りで馬群がばらけると、馬群の中団後方からそれを割くように末脚を繰り出し、ゴール前でメイショウドトウをハナ差捉えて勝利を辛くも収めた。なお、この苦戦を間近で観戦していた竹園オーナーは「馬も騎手も、涙が出るくらい可哀想でした」とコメントしている。 これによりテイエムオペラオーは重賞8連勝、GI5連勝を達成し、年間無敗で2000年を終えた。
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この2000年にはメイショウドトウとのライバル対決も注目を集めた。

2001年の不本意な成績と引退

inyofu 天皇賞4連覇の偉業に挑んだ天皇賞(秋)では前走の経験を活かして早めにメイショウドトウを捉えたものの、大外から伸びてきた1つ年下の伏兵アグネスデジタル[9]に直線で差し切られて2着。また本レースにて1年半にも及ぶテイエムオペラオー世代による中距離〜長距離GIの上位独占にも終止符が打たれた。
GIタイトル8勝目に王手をかけつつも、その栄冠にはなかなか手が届かないとこが続く
ジャパンカップも惜しくも2着に敗退、そして向った引退レース有馬記念
inyofu 引退レースとなった有馬記念でも1番人気に支持されたが、レースでは過去最低着順となる5着に惨敗し、4着に終わったメイショウドトウにも及ばなかった。このレースを最後に競走生活を終えた。シーズン開始当初、すでにGI8勝に王手をかけておりシンボリルドルフ超えも確実視されていた同馬だったが、その快挙が成し遂げられることはなかった。
世界一の賞金王となったテイエムオペラオー。G1計7勝や年間無敗など数々の記録を打ち立てた。さらには、当時新人騎手だった和田竜二騎手を育てとされ、和田騎手はその恩を今でも忘れないという発言をメディアを通じてよくしている。それほど、人に影響を与えるその姿は、まさにその名前の通り王たる風格があったためではないだろうか。

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