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TTG時代の流星の貴公子!テンポイント伝説

「流星の貴公子」と呼ばれ、トウショウボーイ、グリーングラスらと共にTTGの一角となったテンポイント。今回は3強という時代に生きたテンポイントの伝説をまとめてみた。
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遅れてやってきたステイヤー、テンポイント

inyofu テンポイントは、日本中央競馬会に登録されていた競走馬である。トウショウボーイとグリーングラスを加えた3頭はTTGと総称される。

1975年8月に競走馬としてデビュー。関西のクラシック候補として注目を集め、額の流星[† 1]と栗毛の馬体の美しさから「流星の貴公子」と呼ばれた。
3歳時はその能力の高さを評価されるも無冠に終わる。

古馬になってからの覚醒、TTG時代へ

inyofu 1977年2月13日京都記念、3月27日鳴尾記念、4月29日天皇賞と3連勝。5歳を迎えたテンポイントは心身ともに完成されたと言っていいだろう。たしかに6月5日宝塚記念では休養明けのトウショウボーイに屈したが、2200mはあちらの土俵。この後夏を休養した10月16日京都大賞典、11月12日オープンを連勝。12月18日有馬記念に駒を進めるのである。

平凡なレースが史上最高の名勝負?

inyofu 日本の競馬史上、“名勝負”と言われるレースは数多くある。そんな中で、「最高の名勝負は?」と聞かれたとき、多くの競馬ファンが迷わず選ぶのが、テンポイントとトウショウボーイの最後の対決となった昭和52年の有馬記念だ。
出走頭数はわずかに8頭。表面上の勝ち時計も平凡なこのレースが“史上最高の名勝負”と呼ばれるのは、いったい何故なのだろうか。
その理由とは?
inyofu “心に残る名勝負、名場面は?――”と聞かれれば、オールドファンの多くは、“テンポイントとトウショウボーイが激突の有馬記念”こう答えることでしょう。私も迷うことなく“昭和52年暮れの有馬記念”と、胸を張って答えてきました。

宿命のライバルといわれてきたトウショウボーイとテンポイント。相まみえること2年にわたって6度、GⅠレースの成績は3勝1敗、前年の有馬記念はトウショウボーイ1着、テンポイント2着と優位に立ってきたトウショウボーイ、その現役最後のレースとあれば前年の雪辱をとテンポイントが闘志をかき立てて当然でしょう。両雄の気迫がぶつかりあった有馬記念でした。
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1977年はライバルトウショウボーイを倒し、年度代表馬に輝くのだった。
そして悲劇の結末へ
inyofu  1978年は1月5日の東京・金杯が雪でダート変更になったように、寒波の押し寄せた年明けだった。1月22日の日経新春杯(京都・芝2400)も雪景色で寒い日だった。海外遠征が決まっていたテンポイントの壮行レースに5万人を超えるファンが集まった。66・5キロのハンデを背負い、テンポイントはゆったりと流していた。他馬とは脚色が違う。四角を回り、さあ仕掛けるぞ! 誰もがそう思った瞬間だった。乾いた音が聞こえたような気が今でもする。枯れた芝、凍てつくような馬場に1頭だけ流星の栗毛馬が取り残されていた。
 幽霊の末裔の歓喜を神が許さなかったのか? それとも、呪われた血が祝福の嵐に逆流したか? あるいは66・5キロを課したハンデキャッパーへの警告だったのか…。トウショウボーイという太陽が沈み、代わりにテンポイントが真上にのぼりつめた瞬間、凍てつく月になってしまったのである。日経新春杯での単勝支持率57%。ストップ・ザ関東、打倒トウショウボーイを果たした刹那、一人横綱テンポイントを負かすのはどの馬か? ファンの感情は変化し、潮目が替わったのである。しかしながら、テンポイントの負けに賭けた43%のファンですらこんな残酷な配当は望まなかったに違いない。ちなみに、平地での極量はテンポイントの死をきっかけに事実上封印されている。
昭和を代表する競馬界のライバル対決とされるTTG時代。その一角がテンポイントだ。中でもトウショウボーイとの最後の対決となった有馬記念は、いまでもファンのなかで史上最強の一戦とされる。悲劇の名馬として紹介されることもあるが、レースをみればいかに闘志あふれる走りをする馬だったか分かるはずだ。

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