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天馬と呼ばれたグランプリホース!トウショウボーイ伝説まとめ

宝塚記念、有馬記念と両方のグランプリレースを制覇し、テンポイントとグリーングラスらと共に「TTG時代」を培ったトウショウボーイ。その「天馬」とよばれた理由をまとめてみた。
馬キュレ

「天馬」と言われたトウショウボーイ

クラシック初戦皐月賞を制する。
inyofu 当年の皐月賞は、4月18日に例年開催の中山競馬場で施行される予定だったが、これが春闘の最中に当たり、開催3日前に厩務員組合と調教師会の交渉が決裂。組合側がストライキを宣言して開催は順延となり、翌週25日に東京競馬場で行われる運びとなった。これで調整に狂いが生じたテンポイント陣営に対し、トウショウボーイは順調に競走当日を迎えた。当日の1番人気はテンポイント、トウショウボーイは2番人気であったが、レースでは先行策から最後の直線半ばで抜け出すと、テンポイントに5馬身差を付けての圧勝を収めた。走破タイム2分1秒6は、同じく東京開催で行われた第34回競走(1974年)において、同父のキタノカチドキが記録したタイムを0秒1更新するレースレコードであった。この卓越したスピード能力と、首を低く下げて走る独特の走法から、競走後にはマスコミから「天馬」との異名を付され、以後これが定着した[8]。
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ダービーは惜しくも2着に敗れる

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その人気は本物!札幌記念の入場者数でレコード更新!
inyofu  その数、実に6万549人という驚異的な入場人員を記録したこの年、スタンドを埋め尽くす大観衆の関心は、日本ダービー1、2着馬の再戦にあった。圧倒的なスピードを武器に皐月賞を5馬身差で完勝し、西のテンポイントと人気を二分する“天馬”トウショウボーイと、そのトウショウボーイをダービーで負かして一躍名を上げたクライムカイザー。
神戸新聞杯をレコードで制し、1番人気で挑んだ菊花賞はグリーングラスの3着に敗れる。その後4歳ながら挑戦した有馬記念ではレコードで圧勝する。

そして古馬になり、引退レースへ

inyofu トウショウボーイはこの年で引退を決めており、引退レースは有馬記念を予定していた。そこには、最後の雪辱のチャンスに向けて鍛えに鍛え、充実の秋を迎えてビカビカな馬体を見せ付けてテンポイントが待ち構えていたのである。対するトウショウボーイは連戦の疲労でボロボロ。筋肉注射とマッサージをしてレースに向かう有様だった。しかしそれでも挑戦を受けて立つのが王者の矜持であろう
ライバル対決に終止符を!
inyofu その有馬記念ではスタートから二頭でぶっ飛ばし、後続は付いて行くのがやっと。どうしてもここで勝負をつけたいテンポイントと、負けるわけにはいかないトウショウボーイの意地がぶつかり合う物凄いレースとなった。

そして直線。一気に抜け出したテンポイントを驚異的な粘りで懸命に差し返すトウショウボーイ。しかし、わずかに及ばず二着。最後の最後でテンポイントに先着を許したのだった。しかし、道中テンポイントにマークされながらも、堂々と受けて立った誇り高きレース振りは、テンポイントびいきで知られる実況の杉本清アナウンサーをして「しかし、流石にトウショウボーイも強かった!」と言わしめた。
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惜しくもラストランとなった有馬記念はテンポイントの前に敗れ二着で競走馬生活を終える。
昭和を代表するライバル対決とされる「TTG時代」の一角を成し、引退後は父として牡馬クラシック三冠馬のミスターシービーを送りだした。1992年9月18日に19歳でこの世を去った。今でもその競馬界で成した偉業はファンから称えれている。まさしく歴史に名を刻んだ名馬だったと言えるだろう。

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