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錦織に続け!凱旋門賞で、日本馬は世界一になれるか?

【凱旋門賞】とは、フランスのロンシャン競馬場で毎年10月の第1日曜日に開催される競馬の重賞競走であり、ヨーロッパ最大の競走の一つである。
日本競馬界もこれまで数々の名馬を送り出し挑戦を続けたが、未だに勝利を掴むことができていない。そこで本記事では、今までの日本競馬界挑戦の歴史をまとめてみた。
馬キュレ 

すべてはここから始まった!【スピードシンボリ】

inyofu スピードシンボリの果敢な挑戦
凱旋門賞は、日本のホースマンにとって、ずっと「憧(あこが)れ」のレースでしかなかった。海外旅行さえ金持ちのぜいたくといわれていた頃、遠い遠いパリで行われる世界一決定戦に参戦する、ましてや勝つなどということは、途方もない夢物語であった。
inyofu さて、そのスピードシンボリこそが、凱旋門賞に挑戦した初めての日本馬である。遅咲きの同馬は、菊花賞2着から徐々に調子を上げて4歳(現表記)春の天皇賞を制覇。ワシントンDCに挑戦したあとも日本で3つの長距離重賞を制し、69年に6歳にして渡欧。7月のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSで5着に入り、8月のドーヴィル大賞典で10着後、凱旋門賞に挑んだ。
この年の凱旋門賞は24頭立て。野平祐二とスピードシンボリの名コンビは、最後方に近い位置取りから直線に入って追込みを開始したが、レヴモスの10着に敗れている。キングジョージで直線先頭に立って「これはいける、と思ったらあっという間に4頭に抜かれた」(野平氏の述懐)経験から、今度は追込み策。しかし、それでも勝ち負けに持ち込むのは難しかった。
inyofu スピードシンボリは、帰国後最初のレース有馬記念で6番人気の低評価を覆して勝ち、翌7歳時も宝塚記念と有馬記念に勝った。これほどの馬でも、凱旋門賞ではまったく歯が立たないのか…。競馬関係者だけでなく、ファンの間にも、諦めのような気持ちが広がっていった。
日本競馬界にとって初めての【凱旋門賞】挑戦は、1969年の【スピードシンボリ】である。今から45年前、日本では東名高速道路が全線開通、 映画『男はつらいよ』第1作が公開された年でもある。当時の日本最強馬と言っても過言ではない【スピードシンボリ】の挑戦は11着以下の着外に終わり、世界との壁を思い知らされた。

世界の壁に阻まれ続ける日本競馬界

メジロムサシ
シリウスシンボリ

inyofu 72年にはメジロムサシ(18着)、86年にはシリウスシンボリ(14着)が挑戦したが、大きな壁に簡単に跳ね返された。以降、99年のエルコンドルパサーの挑戦まで、日本のホースマンたちは世界に通じる競走馬の生産・育成・調教に励んだ。憧れを、憧れのままで終わらせないために。

凱旋門賞初挑戦から30年、遂に世界を捉えた!【エルコンドルパサー】

inyofu 凱旋門賞の死闘
99年4月、エルコンドルパサーはフランスのシャンティーへ渡った。目標はあくまで凱旋門賞。しかし、それまでに何戦かG1を使う予定だった。
5月23日、海外緒戦のイスパーン賞(フランス・ロンシャン競馬場・芝1850m・8頭立て)を迎えた。直線で先頭に立ったが、ゴール前クロコルージュ(本邦輸入種牡馬)に一気に来られて4分の3馬身差の2着に敗れる。JC以来の久々、初の海外競馬を考えれば、上々の内容だと陣営は考えた。
inyofu 2戦目はイギリスのブリガディアジェラードSという案もあったが、輸送のリスクを考え、フランスのサンクルー大賞(サンクルー競馬場・芝2400m・10頭立て)を選ぶことになる。なんと負担重量は61キロという極量で、相手は前年の凱旋門賞馬サガミックス、欧州年度代表馬ドリームウェルなどの豪華メンバー。凱旋門賞への試金石としてはこれ以上ないレースだが、さすがに苦戦が予想された。
しかし、エルコンドルパサーは強かった。余裕十分に先行馬群の後ろにつけ、直線では楽な手応えで逃げるタイガーヒル(当時のドイツ最強馬。凱旋門賞5着のあとJCに遠征し3番人気10着)をあっさりと交わし、2馬身半の差をつけて圧勝した。ヨーロッパの2400mG1に勝った日本調教馬は、もちろんエルコンドルパサーが初めてだ。これは本物と、現地のマスコミも凱旋門賞の有力馬に取り上げるようになった。
inyofu 9月12日に前哨戦のフォワ賞(ロンシャン競馬場・芝2400m)を使う。3頭立てで終始マークされ厳しい競馬だったが、直線内から出たボルジア(凱旋門賞7着→JCに遠征し6番人気8着)を差し返してクビ差勝った。これで、「東洋から来た得体の知れない馬」ではなく、押しも押されもせぬ「優勝候補」として、エルコンドルパサーは凱旋門賞に臨むことになる。
inyofu 10月3日、その日はやってきた。凱旋門賞は14頭立て。馬場状態はかなり水を含んだ不良である。相手は、この年の「キングジョージ」と「チャンピオンS」を連勝してきていた欧州古馬最強馬デイラミ、そしてフランスダービー、アイルランドダービーの覇者で3歳最強馬モンジュー。ほぼ三つ巴というのが戦前の評価だった。

今までの挑戦と違い、優勝候補の一角として凱旋門賞に出走した【エルコンドルパサー】。当時の日本馬としては破格の2番人気という評価に日本の競馬ファンは期待に震えた。
ゲートが開き、逃げの選択をした【エルコンドルパサー】。ゆったりとしたペースで進み、最後の直線でスパートをかけ後続を突き放すも、最後には後方から来た【モンジュー】に交わされてしまった。しかし、【エルコンドルパサー】は最後まで粘り、その差はわずか2分の1馬身差。3着の【クロコルージュ】とは6馬身差もあり、地元紙では「チャンピオンが2頭いた」と称えた。日本競馬界が【エルコンドルパサー】に乗って、世界に羽ばたいた瞬間であった。

英雄出陣!【ディープインパクト】

1999年の【エルコンドルパサー】に続けと、2002年に【マンハッタンカフェ】が、2004年に【タップダンスシチー】が【凱旋門賞】に挑んだが、それぞれ13着、17着と惨敗した。しかし2006年、無敗のクラシック三冠馬、英雄と称された競走馬がロンシャン競馬場のターフに降り立った。

inyofu 日本時間では月曜日の0時35分。
パブリックビューイングは超満員。
日本中が、といっても過言では無い程多くの人が、ディープインパクトのゲート入りを見守っていた。
ディープインパクトは最後のゲート入り。

日本とは違いファンファーレ等は無く、あっさりとゲートが開く。
ヨーロッパの馬はスタートが遅いこともあり、逃げるのかというほどの攻スタートを切る。
ゆっくり2番手につけ、周りの出方を伺う。
外にはシロッコ。後ろにはハリケーンラン。
閉じ込められるのを嫌ったのか、武豊が少し強引にディープインパクトを外に持ち出す。
リズムが崩れるかに思えたが、何とか落ち着く。
周りの馬全てが、虎視眈々とディープインパクトの首を狙っているかの様だった。
inyofu 前にシロッコ、内にハリケーンランを見ながらレースは進んだ。
後ろではレイルリンクとプライドが不気味に控える。
フォルスストレートを向かえ、ディープインパクトがじわっと上がっていく。
ハリケーンランは手応えが良くない。
逆にディープインパクトは絶好の手応えで直線を向く。
拍子抜けする程あっさりとシロッコを交わす。
ハリケーンランは前の馬が壁になり抜け出せない。

「ディープインパクトが先頭に立った!」
アナウンサーの絶叫が聞こえる。
世界の頂が確かに見えたかに思えた。
inyofu しかし。
後ろからレイルリンクが凄い脚でやってくる。
ディープインパクトに並ぶ。
解説の岡部幸雄が叫ぶ。
「大丈夫!大丈夫!」
レイルリンクが前に出るが、ディープインパクトが内から差し返す。

だが。

そこまでだった。
レイルリンクに交わされ、最後の最後で脚を伸ばしたプライドにも交わされた。
日本競馬史上最強と言っても過言ではない【ディープインパクト】をもってしても【凱旋門賞】制覇は叶わなかった。敗因として考えられる理由はいくつかあるが、3着に終わった事実は変わらない。後に、禁止薬物が検出されていたというニュースが流れ、凱旋門賞の実績は3着から失格へと変わる。風薬として処方された禁止薬物が、寝藁にも付着してしまい、寝藁を食べた【ディープインパクト】の体内に残ってしまったらしい。だがそのことで【ディープインパクト】を批判するのは筋違いであろう。

波乱を巻き起こした【ナカヤマフェスタ】

inyofu 日本競馬の歴史にまた新たな一歩が刻まれました。10月3日に行われた欧州競馬の祭典・凱旋門賞。各地のビッグレースを勝ち抜いた馬が集まり、今年の欧州競馬を総決算する一戦。前哨戦となるニエル賞を勝ったベカバッド、古馬の大将格フェイムアンドグローリー、英ダービーを制したワークフォースなど欧州のスターホースに混じり、日本からも皐月賞馬ヴィクトワールピサと宝塚記念馬ナカヤマフェスタが参戦。事前の予想では単賞オッズ20倍台といずれも伏兵の評価でしたが、まさかまさかナカヤマフェスタが僅差の2着に飛び込む激走を見せたのです。
inyofu 凱旋門賞で日本馬が2着するのは1999年のエルコンドルパサー以来の快挙。エルコンドルパサーのときはフランスに長期滞在し、サンクルー大賞で有力どころを一蹴したうえで、本番の凱旋門賞では当時欧州最強と謳われたモンジューと「本命同士」の壮絶な叩き合いの末に2着。真正面から堂々と欧州競馬に挑戦し、日本競馬の存在を世界に誇示する戦いでした。そのときの「チームエルコンドルパサー」と同じ、二ノ宮厩舎&蛯名正義騎手という組み合わせで、再び「あと一歩」に迫ったという事実。何か、10年前のレースシーンと、そのときの夢や興奮まで色鮮やかに蘇るような思いがします。
2006年の【ディープインパクト】の挑戦から2年後の2008年、GI4勝の二冠馬【メイショウサムソン】が挑戦するが10着に終わった。更にその2年後の2010年、【ブエナビスタ】を破って宝塚記念を制した【ナカヤマフェスタ】と皐月賞馬【ヴィクトワールピサ】が凱旋門賞に出走した。結果は【ナカヤマフェスタ】が2着、【ヴィクトワールピサ】が7着と低評価を覆し、日本競走馬の強さを見せつけた。

暴君が王手をかける!【オルフェーヴル】

【ナカヤマフェスタ】は翌年2011年にも、【ヒルノダムール】と共に【凱旋門賞】に挑んだが、結果は10着と11着に終わった。しかし、1999年の【エルコンドルパサー】の健闘以来、日本の競走馬がコンスタントに【凱旋門賞】で好走するようになった。それだけ世界との差が埋まってきたということだろう。そして2012年、【ディープインパクト】以来のクラシック三冠馬となった暴君が【凱旋門賞】に王手をかける。

inyofu 7日行われた凱旋門賞で一度は先頭に立ちながら、首差の2着に敗れたオルフェーヴルの激闘に、欧州新聞各紙はおおむね称賛の意でレースを伝えた。
地元・フランス最大の競馬専門紙パリチュルフは、終面でオルフェーヴルと勝ち馬ソレミアが並んだ瞬間の写真を掲載。「ソレミアとペリエが、日本の夢を打ち破った」との見出しで紹介。「オルフェは簡単に先頭に立ったが、最後は疲れてしまったようだ。大外18番枠、欧州の馬場など不利な条件はあったが、それでもオルフェは強かった。スペクタクルなレースを見せてくれてありがとう」と、その走りを称えた。
inyofu 英スポーティングライフ紙は「ソレミアがオルフェーヴルの夢を砕いた」との見出しだが「スミヨンの手綱で抜け出した際、日本馬が13度目の挑戦で歴史的な初優勝を飾ったかに見えた」とオルフェを称賛。また優勝したペリエのコメントも掲載。「私は日本人の落胆ぶりも分かる。オルフェーヴルのことも尊敬しているが、こういうことが起こるのも競馬」と語っている。

2013年【オルフェーヴル】と【キズナ】2頭のダービー馬が挑む!

inyofu 前哨戦を快勝したキズナ(牡3歳)とオルフェーヴル(牡5歳)による、日本調教馬の悲願達成が期待された今年の凱旋門賞(現地10月6日/フランス・ロンシャン/芝2400m)。それぞれ万全の態勢であることが日本にも大々的に伝えられ、多くのファンが夢実現の瞬間を楽しみにしていたに違いない。だが――。
inyofu 直線を向いて早々と先頭に立ったのは、道中、オルフェーヴルの後方にいたトレヴ(牝3歳/フランス)だった。まるで昨年のオルフェーヴルが抜け出したときのリプレイを見るかのように、大外から勢いよく抜け出していった。
それ対して、馬群を割って追いかけるオルフェーヴル。ここから昨年と同じ伸びを見せればかわせるはず、と思ったが、デビュー以来4戦して負けることを知らない3歳牝馬は強かった。昨年のオルフェーヴルのようにゴール前でブレーキがかかることなく、むしろ追いすがるオルフェーヴルをあざけり笑うかのように突き放した。
inyofu 再び2着に屈したオルフェーヴルを管理する池江泰寿調教師は、レース後の会見で開口一番こう漏らした。
これが”世界”の層の厚さなのか――。完膚なきまでに叩きのめされた指揮官の表情は、不安を微塵も感じさせなかったここ数日間とは、まるで別人だった。青白く、正気を失っているようだった。

あと一歩、あと一歩がひたすら遠い。過去に【凱旋門賞】を制覇した日本馬はいない、それどころか欧州馬以外に【凱旋門賞】を制覇した競走馬はいないのである。日本競馬界が【凱旋門賞】挑戦を初めて、45年がたった。世界との壁はもはや無いに等しい、しかし勝ちきれない。日本競馬界史上最強と噂される英雄をもってしても、暴君をもってしても勝ちきれなかった。日本の【凱旋門賞】制覇は、所詮夢物語なのだろうか?
いや、違う!今年こそ日本が勝つ!
2014年の【凱旋門賞】に、日本競馬界は3頭の刺客を送り込む! 
ドバイデューティフリーをレコードタイムで圧勝した世界最強馬【ジャスタウェイ】
史上初の宝塚記念2連覇を果たしたステマ配合の申し子【ゴールドシップ】
その【ゴールドシップ】を破り、最も斥量が少ない有利な条件で臨む日本3歳最強牝馬【ハープスター】
2014年10月5日、競馬界に新たな歴史が刻まれる。

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