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過去に凱旋門賞に挑んだ日本馬~1999-2008年編~

これまで述べ14頭の日本馬が挑んだ凱旋門賞。今年は3頭の日本馬が挑戦する。過去、多くの日本の名馬が敗れ去った凱旋門賞。果たして今年は重い扉を開くことが出来るだろうか。今回は1999年から2007年までに凱旋門賞に挑んだ日本馬を紹介する。
馬キュレ

1999年:エルコンドルパサー2着

同世代にはスペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、グラスワンダーなどの強豪がそろった中の1角がエルコンドルパサーであった。当時は持ち込み馬ということでクラシックに出走は叶わなかったが、その鬱憤を晴らすかのように3歳にしてジャパンカップを制覇。早くも国内敵なしとばかりに、4歳時に海外長期滞在で挑んだ凱旋門賞。
積極的なレースを見せたエルコンドルパサーであったが、欧州の強豪モンジューに僅かに交わされ惜しくも2着。エルコンドルパサーは当レースを持って引退となったが、モンジューはその後日本のジャパンカップに出走した、そこではエルコンドルパサーの無念を晴らすかのように同期のスペシャルウィークがモンジューを破り優勝した。

凱旋門賞2着は日本競馬界へ衝撃

エルコンドルパサーが挑む以前は日本馬は大敗が続いていたため、この2着は日本競馬界に衝撃を与えた。そのためこの年の年度代表馬は、GⅠ3勝のスペシャルウィークか、それに2度勝っているグラスワンダーか、という議論も去ることながら、エルコンドルパサーが受賞。国内で1度も走ってない馬が受賞をするという異例の事態となった。

2002年:マンハッタンカフェ13着

3歳秋から頭角を現したマンハッタンカフェは菊花賞を制すると、その後有馬記念、天皇賞春を制覇。エルコンドルパサーと同じ蛯名騎手とのコンビで挑むこととなった。
結果は大きく離された13着と大敗。その後故障を発症し、そのまま引退。世界へ挑むことのリスクを教えとする結果となった。

2004年:タップダンスシチー17着

6歳にしてジャパンカップを9馬身の圧勝で初GⅠ制覇を飾った。年が明けて7歳になっても宝塚記念を優勝し、世界へ挑むことへ。しかしフランスへ輸送する際に飛行機トラブルのため予定通りに行かず、一度は出走を断念。しかしクラブ馬主の出走希望が多かったため、予定をずらしながらも出走を決意した。
タイトなスケジュールながらも果敢な先行競馬を見せたが、大敗。飛行機トラブルという遠征の難しさを教えられた挑戦であった。

2006年:ディープインパクト3着(失格)

3歳時には無敗3冠、4歳時になっても天皇賞春、宝塚記念を圧勝。有馬記念で僅かに敗れたハーツクライもその後世界でドバイ圧勝、キングジョージでは接戦の3着とその名を轟かせており、ディープをそれに続く形で世界へ向かった。

武豊騎手も自信を見せた

inyofu 「この馬で行かなければ、どの馬で世界へ行くのか」

JRAもCMを作るという異例の事態

この馬なら勝てると思われたが、まさかの敗戦。勝ち馬のレイルリンクは3歳馬ということでその3.5キロという斤量差に敗因を求める声も聞こえた。その後禁止薬物が発見され失格。日本では当時使用可能な薬物であったがフランスでは禁止薬物に指定されていた。これらの世界ルールの把握ということの必要性を感じさせる1戦であった。

2008年:メイショウサムソン10着

本来であれば前年の4歳時に挑むプランであったが、当時馬インフルエンザが流行しており、衛生上の問題により出走を断念。その前年の思いを胸に挑んだ遠征であった。
レース中は終始馬群に包まれる厳しい競馬を強いられ、欧州特有のタフな競馬に圧倒されてしまった。

90年以前には到底かなわないであろうとされていた世界相手に、夢が叶うのではないか、と思わせてくれたのがこの世代であった。輸送トラブルや、禁止薬物の規定、馬インフルエンザの影響等々、今後に生きる教訓をひとつずつつかんでいったのも間違いない。失敗は成功の元、という言葉のように、これらの敗戦は未来へつなぐ重要なものであったと言えるだろう。

◆凱旋門賞に挑んだ日本馬~2010-2013年編~はこちら

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