TOP > 競走馬 > 華麗なる一族まとめ
競走馬

華麗なる一族まとめ

競馬の世界には「華麗なる一族」と呼ばれる血脈がある。その血統からはたくさんの活躍馬を生み出し、競馬界を盛り上げてきた。今回はその「華麗なる一族」をまとめてみた。
華麗なる一族

華麗なる一族とは?

inyofu 華麗なる一族(かれいなるいちぞく)とは、1957年にイギリスから輸入されたサラブレッド、マイリーが産んだ持込馬、キユーピツトの牝系子孫のことを指す。7号族(e分枝)のファミリーに属する。

すべてはこの牝馬から始まった

inyofu マイリー (Mairie) はイギリスの競走馬、繁殖牝馬。いわゆる「華麗なる一族」の祖として知られる。 日本では終戦後の1952年(昭和27年)に外国からの馬の輸入が解禁になると、ライジングフレームをはじめとした外国種牡馬の輸入が始まった。戦前に輸入されたセフトの仔の活躍を見た斎藤卯助は、これからは外国馬の子が主流になると考え、1956年(昭和31年)、繁殖牝馬購入のためイギリスへ渡った。このとき購入した牝馬の一頭が華麗なる一族の祖となるマイリー (Mairie) である。

華麗なる一族の代表格ダイイチルビー

inyofu 競走馬にはなれないな……」
 昭和63年の春、北海道の荻伏牧場を訪れていた伊藤雄二調教師は、当時2歳だったダイイチルビーの脚元を見てそう思った。“天馬”トウショウボーイ、“華麗なる一族”のハギノトップレディを両親に持ち、夢の配合と言われた彼女の前脚の蹄は、生まれつき左右の大きさが違っていたのである。これではバランスよく走ることは難しく、故障のリスクも高いはず。数々の名馬を育てた名伯楽でさえ、さすがに仕上げるのは無理だと感じたが、せっかく来たのだからと実際に走らせてもらうことにした。
そこまでのハンデを抱えつつもGI制覇!
inyofu ダイイチルビーは、両親から受け継いだ瞬発力とスピードを遺憾なく発揮。前とのギャップをみるみる縮め、粘るダイタクヘリオスを並ぶ間もなく交わしてゴールへ飛び込んだのだった。
 それまでの鬱憤を晴らすような快勝劇を演じたレースは、伊藤師をはじめとする関係者が焦ることなく、ダイイチルビーの成長に合わせてじっくりと育てていった努力の結果でもある。まさに磨き続けられた紅玉(ルビー)が、大きく輝いた瞬間であった。
動画を見る
一族のトップレディ!
inyofu 頂点を極めた馬の軌跡を天才型と努力型に大別すると、桜花賞の優勝馬には前者のタイプが多い。キャリアの差を天性の才能で埋めて戴冠を果たした──。歴代の桜のヒロインにはそんなプロフィールの持ち主が目立つ。なかでも戦後の桜花賞史上の"最少キャリア優勝記録"を打ち立てた天才少女がハギノトップレディである。

本物の天才少女

inyofu ハギノトップレディは一介の天才少女ではなかった。美しく咲いた後は儚く散る運命にある花のごとく、頂点を極めた後は尻すぼみの成績に終わっていく天才肌の女王も少なくないなかで、彼女は秋を迎えていっそう美しく咲き誇った。始動戦のオープンを9馬身差で圧勝、続く京都牝馬特別は古馬を相手に逃げ切り、17着に大敗したオークスの走りから、距離面の不安を囁かれたエリザベス女王杯(現在の秋華賞に相当。当時は2400㍍で争われていた)でも終始、先頭のポジションを譲らずに二冠制覇を達成した。「努力では補えない、天から授けられた才能」だとよくいわれるスピードの絶対値は、キャリアの差ばかりか距離の壁も乗り越えてしまうほど傑出していたのである。
動画を見る
華麗なる一族として競争馬デビューした馬は、それだけで話題になり期待される。言い換えれば、常にそのプレッシャーと戦う運命にあるということなのかもしれない。しかし、そのプレッシャーをはねのけて長らく結果を残し続けているがゆえに、ファンは常に期待し続けているのだろう。今後も華麗なる一族の血を引くサラブッレッドには期待したい。

side-mark ページ上部へ
prev top next
  • 【PR】
  • 関連タグ
    kusa_line