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無事に出走していたら三冠馬になっていただろう名馬たち

競馬に「タラレバ」は禁物である。しかし三冠馬という夢が迫るとつい抱いてしまう。そんな夢を抱かせてくれた幻の三冠馬たち。
馬キュレ

トウカイテイオー

父は無敗三冠馬シンボリルドルフ。父に続き無敗で皐月賞、ダービーを制すも骨折が判明。無事に菊花賞に出走していたら…と誰もが夢を描いた幻の三冠馬。

ミホシンザン

父シンザンに続き三冠馬が期待されるも骨折でダービー出走叶わず。前年にはシンボリルドルフ、前々年にはミスターシービーが三冠馬になっていたが3年連続の三冠馬誕生には至らなかった。

トキノミノル

10戦10勝で二冠を達成するも、ダービー制覇後に天に召された幻の三冠馬。

サニーブライアン

皐月賞11番人気、ダービー6番人気と人気薄での逃げ切り勝ち。故障で無念の引退となった。

マルゼンスキー

inyofu 朝日杯3歳S(現フューチュリティS)でマークしたレコードの1分34秒4は、以後14年間破られることがなかった。それだけの能力に恵まれながら当時の規定(※)によりクラシックには出走できず、悲運の名馬とも呼ばれた。「大外枠でいい。他の馬の邪魔は一切しない。賞金もいらないからダービーに出走させてほしい。この馬の能力を確かめるだけでいいんだ」と訴えた主戦・中野渡清一騎手の言葉はよく知られている。

カブラヤオー

inyofu デビュー2戦目から皐月賞もはさんで、ダービーまでカブラヤオーは8連勝である。二冠ジョッキーになった菅原泰夫(現調教師)は、その年、テスコガビーで桜花賞とオークスも勝ち、まさにわが世の春である。 屈腱炎になって菊花賞を断念し、あと4戦してカブラヤオーは引退した
今回は「タラレバ」の中でも最も夢のある、もし出走していたら…。という馬たちをまとめてみた。特に「ダービー馬はダービー馬から」という言葉があるように三冠馬も三冠馬から生まれる、というのは夢がある。また当時の制度で出走が叶わなかったマルゼンスキー。今やそれも開放されて持ち込み馬も出走できるようになった。こうした悲運の名馬たちがいるがゆえに制度の改正や医療の発達もあるのだろう。そのためにも彼らの伝説を語り継いでいきたい。

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