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地方の夢を背負って、いざ中央へ殴りこみ!イナリワン伝説

地方競馬の英雄イナリワンの名レースや記事、エピソードをまとめてみた。
地方競馬の英雄イナリワン

地方競馬から中央競馬の舞台へ

大井競馬でデビューし、東京大賞典などを優勝。1989年に中央競馬に移籍した。
inyofu 12月9日、大井競馬場の3歳新馬戦でデビュー。宮浦正行を背に、2着に4馬身差を付けて初戦勝利を挙げる。続いて翌年の正月競馬に登録を行ったが、競走当日、ゲートに頭を強打し、前頭骨打撲で出走を取り消す。大事を取ってそのまま休養に入り、春の目標とした羽田盃、東京ダービーの断念を余儀なくされた。5月に復帰、緒戦の条件戦を2馬身差で勝利すると、以後連勝を重ねる。秋には南関東三冠の最終戦・東京王冠賞に出走、チャンピオンスターに1馬身差を付けて優勝し、重賞初制覇を果たした。年末には船橋競馬場の新設重賞・東京湾カップに勝利。8連勝でシーズンを終えた。
inyofu 保手浜はイナリワンを「芝コースに向く馬」と考え、年末のグランプリ競走・東京大賞典勝利の場合、中央競馬へ移籍する計画が立てられた。迎えた東京大賞典は良馬場となり、アラナスモンタを半馬身抑えて勝利を収める。これにより中央競馬への移籍が正式に決定し、翌1月には美浦トレーニングセンターの鈴木清に移った。以後も福永はアドバイザーとしてイナリワンへの関与を継続する。

「平成三強の一角」として

中央競馬へ移籍後、同じ地方から中央競馬へ移籍し活躍していたオグリキャップと菊花賞馬スーパークリークとの対決を幾度も繰り広げることとなる。
inyofu 平成三強(へいせいさんきょう)とは平成初頭に中央競馬で活躍した3頭のサラブレッド競走馬(オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン)の総称である。とくに1989年(平成元年)には、中央競馬におけるGI戦線の中心となった。

イナリワンとオグリキャップはそれぞれ1989年(平成元年)度と1990年(平成2年)度のJRA賞年度代表馬に選出され、さらにオグリキャップは日本中央競馬会(JRA)の顕彰馬に選出された。

オグリキャップとの名勝負は毎日王冠

平成三強の一角としてライバルとして存在していたオグリキャップ。第40回毎日王冠での二強対決は歴史的名勝負となった。
inyofu オグリか、イナリか。激しく叩き合う2頭の争いは、いったんイナリワンが優勢に持ち込んだが、オグリキャップも負けじと差し返し、最後は頸の上げ下げに。南井克巳騎手も柴田政人騎手もそれぞれに敗北を覚悟したほど苛烈を極めた一戦は、僅差でオグリキャップが制していた。
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有馬記念でスーパークリークと対決

毎日王冠でのオグリキャップとの激戦を僅差の2着に敗れ、その後は天皇賞(秋)を挟んで有馬記念を目標にした。そこでは、もう1頭の平成3強が待ち構えていた。
inyofu この有馬記念でいえば、一番強いのはオグリキャップ、一番強い競馬をしたのはスーパークリーク。しかしイナリワンは一瞬のカウンターでこの両者を葬り去った。「オグリはですね…。やはり連戦の疲れでしょうか。直線いったん先頭に立ったけれど体調の面で無理があった。それを目標にしたスーパークリークが抜け出し、そこを死んだふりのイナリワンが…」。ラジオ解説者の口調はあまり歯切れがよくなかったと記憶する。当時この2強に対し、イナリワンはあくまで敵役であり刺客だった。

1989年、年度代表馬に

1990年の宝塚記念を最後に、その競争生活の幕を下ろし、ターフを去った。引退後は種牡馬として日高軽種馬農協門別種馬場に繋養された。しかしながら、サンデーサイレンスの大ブーム到来の影響もあり、種牡馬としては大きな成功を収めることはできなかった。 2004年種牡馬から引退し、以後は功労馬として余生を過ごしている。

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