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コンドルはフランスへ!エルコンドルパサー伝説

日本代表として世界に飛び立ったエルコンドルパサーの名レースや記事、エピソードをまとめてみた。

最強の外国産馬

inyofu エルコンドルパサー(英語表記:El Condor Pasa 西語表記:El Cóndor Pasa 漢字表記:神鷹)はアメリカ合衆国で生産され、日本で調教された競走馬(外国産馬)。馬名の由来は馬主の渡邊隆が好きだったというサイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んでいく』より。4歳(旧5歳)時に国外遠征を行い、フランスのG1競走サンクルー大賞を勝ち、凱旋門賞で2着になるなど、日本競馬界に大きな足跡を残した。1998年JRA賞最優秀4歳牡馬、1999年年度代表馬、JRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名は、いずれも当時のもの)。

伝説は新馬戦から

inyofu 98年の11月、エルコンドルはデビュー戦で大きく出遅れます。オーナーの渡邊隆氏は「3コーナーでは諦めて、もう家に帰ろうかと思った」と当時を述懐します。

ところが直線へ向くとエンジンに火が点ります。先行勢に追いついたかと思うと次の瞬間にはまとめてごぼう抜き。アッという間に2着に7馬身の差をつけて圧勝しました。しかもその2着馬が後に重賞を勝つのだから、エルコンドルの素質の片鱗はすでに新馬戦でみえていたというわけです。
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外国産馬の制限が功を奏す

inyofu さて、外国産馬ゆえの出走制限から、エルコンドルパサーは、その後ニュージーランドトロフィー、NHKマイルカップに挑戦し5戦5勝でマイルのチャンピオンの座について春シーズンの戦いを終えるのであるが、秋シーズンを迎える頃には更に成長し、1800mなら十分に戦える雰囲気を感じさせるようになっていた。秋初戦の毎日王冠はサイレンススズカの前に、初めて敗戦を記録したが、2着争いから抜け出してきたレースぶりに、二ノ宮師は距離の面でも確かな手応えを感じていた。そして期待を込めて送り出したジャパンカップで、エルコンドルパサーは押しも押されもせぬチャンピオンの座につくのである。この段階でオーナーがかねがね夢みていた海外遠征の計画が、具体的に進み始めた。
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そして、凱旋門賞へ

inyofu 翌年、エルコンドルパサーは長期の欧州遠征を敢行した。初戦のイスパーン賞は2着だったが、続くサンクルー大賞では前年の仏・愛ダービー馬ドリームウェルらを一蹴。ヨーロッパのチャンピオン・ディスタンスとされる芝2400メートルで日本調教馬初のG1制覇という快挙を成し遂げた。さらに3戦目のフォワ賞も手中にし、迎えた大一番の凱旋門賞では、他馬の目標になって逃げる苦しい展開から最後まで素晴らしい粘りを発揮し、勝ち馬モンジューから半馬身差の2着に食い込んだ。結果敗れはしたが、モンジューより3.5キロも重い斤量を背負い、3着以下を6馬身置き去りにしたレース内容に、現地のマスコミは「今年の凱旋門賞にはチャンピオンが2頭いた」と、惜しみない賞賛を贈ったのだった。
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悔しすぎる2着は、後の日本競馬の発展へと与えた影響は大きかった。
凱旋門賞を最後に現役生活を終了し、社台スタリオンステーションで繋用されることになった。 2002年7月16日、腸捻転を発症し死亡した。エルコンドルパサーが種牡馬として残したのはたった3世代だけだったにも関わらず、ヴァーミリアン、ソングオブウインド、アロンダイトらの3頭のGIホースを送り出している。

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