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2014年皐月賞目前!!皐月賞の歴史まとめ

2014年4月20日に牡馬クラシック初戦である第74回皐月賞が行われる。
今回はこれまでの皐月賞の歴史をまとめてみた。
競走馬

皐月賞とは?

inyofu 皐月賞(さつきしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝2000メートルで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。競走名は陰暦の5月である皐月から。

イギリス競馬が発祥

inyofu 1939年に当時の日本競馬会がイギリスのクラシック競走である2000ギニーを範として(2)4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の定量の重賞競走横浜農林省賞典四歳呼馬(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)として創設
inyofu 第1回は現在とは違い横浜競馬場の芝1850メートルで施行された。東京優駿競走・阪神優駿牝馬・京都農林省賞典四歳呼馬・中山四歳牝馬特別と並ぶ「五大特殊競走」(五大クラシック競走)の1競走と位置づけされて、東京優駿競走と京都農林省賞典四歳呼馬とともに日本の牡馬クラシック三冠競走を確立した。
第1回優勝馬はロツクパーク。8頭中7番人気で勝利。皐月賞初回から大荒れのレースとなった。

戦争の影響

inyofu 1943年からは横浜競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800メートルで施行、1944年のみ太平洋戦争(戦時中)の影響で能力検定競走として農商省賞典四歳の名称で施行、1945年・1946年は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の接収により開催中止、1947年からは施行距離を現在の芝2000メートルに変更、名称を農林省賞典に変更した。
第3回優勝馬セントライトは後の初のクラシック三冠馬である。
当時は戦時中の為、大型馬は全て軍用にまわされていた。
この馬は500kg以上あったが、直前に法改正されて軍用をまぬがれた。

皐月賞誕生

inyofu 1949年から施行場を現在の中山競馬場の芝1950メートルに変更、名称を現在の「皐月賞」に変更、翌年の1950年からは再び施行距離を芝2000メートルに戻し牡馬クラシック競走の第1戦として現在に至っている。
『皐月』とは、旧暦の5月を指し、『皐月賞』に改称された当時は5月の上旬に行われていたが、
1952年より4月に繰り上げられている。

地方馬、外国産馬も出走可能

inyofu 1988年は中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000メートルで施行、1995年からは指定交流競走となり皐月賞トライアルで優先出走権を得た地方所属の競走馬も出走できるようになり、2005年からは阪神ジュベナイルフィリーズと朝日杯フューチュリティステークスの1着馬およびJRAの芝の3歳重賞優勝馬が(収得賞金順で)出走権を獲得できるようになった
inyofu さらに2002年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能となり2005年には上位4頭に、2006年からはさらに上位5頭までに拡大された。

歴史の中にハプニングあり

動画を見る
第60回皐月賞では佐藤哲三騎乗のラガーレグルスがゲートが開いたと同時に尻もちをつき、
ゲートから出られなくなるというハプニングがあった。

皐月賞は、三冠レース(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)の第一関門であり、
“皐月賞は最も速い馬”が勝つといわれている。70年を超える歴史の中で、
クラシック三冠を制したのは、7頭のみである。
果たして今年の皐月賞優勝馬が三冠を狙えるのか、今から楽しみだ。

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