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ディープインパクトでも捕まえれなかった!?大逃げサイレンススズカ伝説

音速の貴公子と呼ばれたサイレンススズカの名レースや記事、エピソードをまとめてみた。
大逃げといえばサイレンススズカ

大逃げといえばこの馬

inyofu サイレンススズカ(Silence Suzuka、香港表記:無聲鈴鹿)は日本の競走馬。おもな勝ち鞍は1998年の宝塚記念。同年6連勝で臨んだ天皇賞(秋)において故障を発生し、予後不良と診断され安楽死処分された。大逃げというレーススタイルで注目された馬である。

主戦騎手は上村洋行→武豊。ただし、宝塚記念は南井克巳が騎乗した。

弥生賞では、まさかの出来事が!?

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inyofu 2戦目の弥生賞、サイレンススズカは発馬機内で暴れた末にゲートの下を潜り、あげくに大きく出遅れて惨敗を喫す。また、プリンシパルSでは控える競馬をこなしたものの、肝心のダービーで折り合いを欠き、自分の競馬ができないまま自滅した。悲しいかな、4歳時(旧年齢表記)の彼はけた違いの能力を100%発揮できるだけの"器"をまだ備えていなかったのだ。

伝説の始まり

inyofu キャリアの浅さを露呈したサイレンススズカは、ゲートの再試験と20日間の出場停止を命じられる。皐月賞出走は絶望となったが、それでも3戦目は2着に1秒1差の大楽勝。やはり能力が違っていた。続くプリンシパルSも勝利して、クラシック第2弾の日本ダービーに出走する。

 しかし騎手との折り合いを欠き、9着に敗退してしまう。スタミナの温存を意識して、行きたがるのを抑えたのが裏目に出てしまった。陣営はこの馬の傑出したスピードを生かすには、逃げに徹したほうがいいと判断。3歳の秋までは不完全燃焼の競馬が続いたが、4歳になるとこの逃げに磨きがかかり、破竹の快進撃が始まる。
inyofu 後続がついて行けず、みんなバテてしまうのだ。中山記念で初重賞勝ち。続く小倉大賞典、金鯱賞をレコードで連勝。7月の宝塚記念で5連勝を飾るとともに、初GI制覇を成し遂げた。秋は毎日王冠が始動。59キロの重い斤量を背負いながら強豪を退けて6連勝。もはや敵はどこにもいなくなった。
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沈黙の日曜日

inyofu 毎日王冠に勝ち、いよいよスターホースとしての道を歩き始めたサイレンススズカにとって、天皇賞は物語のいわば序章となるべきレースでもあった。 第3コーナーを回るまで、すべては予定通りだった。

「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」

ところが──。第4コーナーに入る直前だった。サイレンススズカは、にわかに失速。2番手のサイレントハンターにあっという間に差を縮められると、あっけなくかわされる。武の誘導によってコーナーの外に出されたサイレンススズカは、左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。足を地面に着けないということは、故障が重度であることを物語っていた。武はその様子を見て、「物語」が始まる前に終わったことを悟った。

「レース中、何が起こったかはすぐにわかった。ジョッキーにとっては、いちばん嫌な瞬間ですね」

その瞬間、ジョッキーの体にどんな感触が伝わるものなのか。それを問うと、しばらく唸ったあと、こちらを拒絶するような、嫌悪するような苦笑いを浮かべた。

「あんまり細かくは言わなくてもいいんじゃないかな。普通の人は知らなくてもいいことでしょう」
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悪夢の天皇賞(秋)の後、サイレンススズカは安楽死処分となった。このことから数十年たった今でもサイレンススズカを「サンデーサイレンスの最高傑作」、「日本競馬界史上最強の馬」として名を挙げる関係者やファンは多い。もし、あの時無事に4コーナーを回ってきていればどうなっていたのだろうか、そう考えている競馬ファンや関係者は多いだろう。

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