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日本を代表するステイヤー!闇の帝王ダンスインザダークまとめ

最強ステイヤー、ダンスインザダークの名レースや記事、エピソードをまとめてみた
馬キュレ

最強ステイヤー!

inyofu ダンスインザダーク (Dance In The Dark) は、日本の競走馬、現在は種牡馬として供用されている。1996年の菊花賞などに優勝、同年のJRA賞最優秀4歳牡馬を受賞した。主戦騎手は武豊。種牡馬としてデルタブルースなど4頭のGI級競走優勝馬を輩出している。

馬名の由来は母名ダンシングキイと、黒鹿毛の馬体からの連想である。
生まれた時からの「大物」
inyofu 1993年、北海道千歳市の社台ファームに生まれる。父は後に13年連続のリーディングサイアーとなるサンデーサイレンス、母はアメリカから輸入されたダンシングキイ。6月と遅生まれであったが、管理調教師となる橋口弘次郎によれば、当歳秋の時点で馬体に「大物感」があり、クラシックを狙える馬と感じたという。
予定通りダービーへ!
inyofu 当日は皐月賞に優勝したイシノサンデー、同2着のロイヤルタッチを抑えて1番人気に支持された。レースでは2-4番手を追走、直線で先頭に立つと後続馬を突き放した。
まさかの敗退…
inyofu しかし後方から追い込んだフサイチコンコルド(7番人気)にゴール前で一気に交わされ、クビ差の2着に敗れた。武は交わされた瞬間「えっ、嘘だろう」と思ったといい、橋口は「頭の中が真っ白ですよ。あのとき周囲に人がいなかったら、その場にへたりこんでいたでしょうね」と回顧している。フサイチコンコルドはここまで2戦2勝。プリンシパルステークスにも出走予定があったが、熱発で回避していた。橋口は「僕はずっと前からあの馬(フサイチコンコルド)は強いと言い続けていましたから、プリンシパルステークスに出てきていれば、当然マークした所なんですけどね」と悔いた。
競走前、陣営はイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへの出走計画を立てていたが、この敗戦により中止となり、ダンスインザダークは休養に入った。
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伝説の菊花賞

皐月賞、ダービーでまさかの無冠の状態で、残された菊花賞は負けられない一戦となった。
inyofu ダービー後、ダンスインザダークは放牧休養でじっくりと疲れを取り、秋は京都新聞杯から始動。本番に向けて余裕残しの仕上げでしたが、余裕十分に中団からの差し切り勝ちを決め、最後の一冠どりは好スタート。ライバル、フサイチコンコルドの待つ本番の菊花賞は、ダービーに続いて1番人気に支持されての出走となりました。
名手と共に掴んだ栄冠
inyofu 「鞍上は武豊騎手、腹を据えてすべてを任せることにしました」 と、名手の腕にすべてを託すことに決めたのでした。“出遅れだけはしないように”集中していたという武豊騎手は、まずまずのスタートを決めると道中は中団を追走。有力馬の直後を追走する最高のポジションでレースを進めました。ところが、勝負所の3・4コーナー中間地点で馬群に包まれ、内を突いた直線では前が壁。ライバルたちとの差は見る見る間に広がり、ダンスインザダークは早々と圏外に去ったかに思われました。

 しかし、無理に動かず馬群が開く瞬間をじっと待ち続けていた武豊騎手は、わずかなスペースを見つけると一気のスパート。ロスなく外へ持ち出す神業のような手綱さばきでダンスインザダークを操り、優勝争いを繰り広げていたロイヤルタッチ、フサイチコンコルドを並ぶ間もなく捕らえて先頭でゴールを駆け抜けました。ゴールの瞬間から何度も何度もこぶしを突き上げた武豊騎手。春の悔しさと、菊花賞の劇的な勝利での喜びが合わさり、GI勝ちを何度も経験している武豊騎手も感情を押さえ切れなかったのでしょう。
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ゴール前の末脚はまさに伝説級!
菊花賞直後に、屈腱炎が判明。そのまま引退することとなった。引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。産駒にデルタブルース、ツルマルボーイ、ザッツザプレンティ、スリーロールスなどがいる。産駒たちはダンスインザダークと同じく菊花賞を制している馬も多く、サンデーサイレンスの後継種牡馬として日本のステイヤー部門を支えていると言っても過言ではない。

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