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ザ・ベストマイラー!ダイタクヘリオス伝説

マイルの神となったダイタクヘリオスの名レースや記事、エピソードをまとめてみた。
マイルの神

「ダイタクヘリオス」その名前の由来とは?

inyofu ダイタクヘリオスとは日本の競走馬である。1991、1992年のマイルチャンピオンシップ優勝馬。種牡馬としても2000年度のJRA賞最優秀短距離馬・ダイタクヤマトを輩出し、父・自身・子と3世代続けて内国産種牡馬として供用された。

馬名の由来は冠名「ダイタク」とギリシア神話の太陽神「ヘリオス」より。中央競馬の競走体系が整備された2008年現在ではめずらしくなったが、おもに短距離路線で活躍しながら有馬記念のような長距離競走にも出走していた

雑草魂?

inyofu ダイタクヘリオスは、およそ1番人気の似合わない馬であった。
 頭を高く上げ、歯を剥きながら掛かり気味に先行し、最後は脚色いっぱいになってゴールに飛び込むのが、彼なりのスタイル。ツボにはまれば恐ろしく強いが、後続の餌食になることも少なくなく、本命の支持に応えたのは旧3歳時の1度だけ。人気に応えるよりも、お高いエリートホースを蹴散らす方が断然、はまり役だった。

本当は真面目!?

inyofu 気が荒い、暴れ馬というイメージのあったダイタクヘリオスではあるが、その根は真面目で、気のいい馬なのである。実際、幼少時の牧場では、おとなしい、人に従順な馬として牧場スタッフ達からも可愛がられていた。そんなダイタクヘリオスだから、競馬にも真面目な馬だったのだ。前を行く馬がいれば、必ず抜いて勝とうとする。頭を上げ、口を開けて走るその姿は荒馬そのものだが、ダイタクヘリオスにとっては、それはいたって真剣な行動であったのだ。
inyofu この日。阪神の直線でダイタクヘリオスについてこれる馬は1頭もいなかった。ダイイチルビーが伸びを欠き、競馬を放棄したかのように脚を止めると、先行2騎も見る間に後方へと下がっていった。ダイタクヘリオスの前後する位置からついていったシンホリスキー・南井克己騎手が懸命に粘っているが、ダイタクヘリオスとの差は3馬身、4馬身と拡がっていくばかり。消耗戦にもかかわらず差し馬の出番はなく、中団にいたミスタースペイン・松永幹夫騎手が3番手まで上がるのがやっとという有様だった。

女泣かせ?

inyofu  ダイタクヘリオスはまた、牝馬(おんな)泣かせの馬でもあった。
 最も有名な逸話は平成3年の高松宮杯だろう。良血牝馬ダイイチルビーが祖母イットー、母ハギノトップレディに次ぐ母仔3代制覇をかけて臨んだ大一番で、無粋にも1番人気のヒロインから主役の座を奪ってしまったのである。彼にしてみれば安田記念で後塵を拝したダイイチルビーに借りを返した格好だが、人々の記憶には、競馬史に残る快挙を阻止したレースとして強く刻まれた。さらに、彼が保持するマイルチャンピオンシップ2年連続優勝の実績も、前述のダイイチルビー(平成3年)とシンコウラブリイ(平成4年)を退けてのもの。成績にムラはあっても、美女の前ではビシッと決める心憎い奴だった。
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1992年の有馬記念を最後に現役生活を引退した。引退後は種牡馬となった。種牡馬としてはスプリンターズSで大波乱を演じたダイタクヤマト(スプリンターズステークス-GI、スワンステークス-GII、阪急杯-GIII)などを送り出した。その後、2008年9月に種牡馬を引退。功労馬として繋養されていたが、同年12月に死亡した。

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