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女には負けない!メジロドーベル伝説

牝馬GIの女王メジロドーベルの名レースや記事、エピソードをまとめてみた。
女王

吉田豊騎手といえばこの馬

inyofu メジロドーベルは日本の元競走馬、繁殖牝馬。メジロライアンの初年度産駒である。全レースで吉田豊が騎乗した。

同じ血液型は22パーセント

inyofu 母メジロビューティーの特殊な血液型[編集]

メジロドーベルの1歳上の兄には父サンデーサイレンスの産駒がいたが、生まれてすぐに黄疸が出てしまった。そして、そのサンデーサイレンス産駒は度重なる輸血の結果、感染症を併発して命を落とすことになったため、母メジロビューティーの血液は検査に出されることになった。

検査の結果、メジロビューティーの血液型は特殊であり、その血液型と適合するのは日本の種牡馬の約22パーセントだけであることが判明した。しかし、その結果が出た時点で、メジロビューティーはメジロライアンの仔を宿していた。メジロライアンは「22パーセント」のなかには含まれていなかった。その仔がメジロドーベルであった。

母と父の血液型が不適合であると、免疫力をつけるまでは母からの乳を飲むことができない(不適合の母から乳をもらうと死に至る場合もある)。しかし、馬は初乳を飲むことによって初めて免疫力をつけることができるため、メジロドーベルは同じ時期に出産を控えていた片目の見えないメジロローラントから初乳をもらうことになった。

メジロの悲願達成

inyofu  父はクラシックで人気を集めながら、あと一歩に泣いてきたメジロライアン。その初年度産駒として、平成8年、颯爽とターフに登場したメジロドーベルは、出世舞台の阪神3歳牝馬S(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)で数々の素質馬を下して優勝。父の名を一躍高めるとともに、パートナーの吉田豊騎手、母メジロビューティーも手掛けた大久保洋吉調教師に初のGI タイトルをプレゼントした。翌年も、桜花賞こそ2着と敗れたが、オークス・秋華賞の二冠を制覇。激しい闘争心と非凡な瞬発力を武器に、メジロドーベルは瞬く間に同期の牝馬ナンバーワンの座へと駆け上がった。
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秋華賞も圧勝!

inyofu ラスト1Fからキョウエイマーチを一気にとらえて突き放す。今もなお圧倒的に桜花賞馬有利のこの舞台で、これまでで唯一、オークス馬のスタミナが桜花賞馬との勝負を決定づけたシーンでもある。もちろんそれは、桜花賞2着馬でもあるメジロドーベルがスピードを兼ね備えていた速さの土台があればこそ。

終わってみれば2馬身半差の快勝。桜花賞をあと少し上手に競馬出来れば牝馬3冠馬ではなかったのかと誰にも思わせる内容でもあった。しかし、それが生涯一度となるクラシックの厳しさでもある。
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そして、牝馬五冠へ

inyofu エリザベス女王杯では一世代下のオークス馬エリモエクセル、二冠馬ファレノプシスらを退け勝利し、史上初の連覇を達成した(現在までにエリザベス女王杯を連覇したのはメジロドーベルのほかアドマイヤグルーヴ、スノーフェアリーの3頭がいる)。前年に続いてJRA賞最優秀5歳以上牝馬(同)を受賞、史上初の4年連続のJRA賞受賞となった。これを置き土産に現役を引退した。

牝馬限定戦では8勝・2着2回・3着1回・着外なし、という無類の強さを誇りながら、牡馬相手にGIを勝つことはなかった(GIIは4歳時にオールカマーを勝利)。当時の牝馬としては最多のGI5勝、4年連続GI勝利(ほかにはメジロマックイーン、アグネスデジタル、アドマイヤドン、ユートピア、ブルーコンコルド、ウオッカ、ヴァーミリアン、ブエナビスタ)という実績を残している。
1999年のエリザベス女王杯で優秀の美を飾り、その素晴らしい競争生活の幕を下ろした。引退後は生まれ故郷であるメジロ牧場で繁殖牝馬となった。しかし、不運が重なり産駒たちがデビューすることができないこともあり、初勝利をあげたのは4番仔であるメジロシャレード(牝馬、父:マンハッタンカフェ)だった。母の偉大なる競争成績を超える子供たちはいつ現れるのだろうか。

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