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私が初の三冠牝馬!メジロラモーヌ伝説

史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌの名レースや記事、エピソードをまとめてみた。
三冠

史上初!牝馬三冠

inyofu メジロラモーヌは日本の競走馬。1986年に桜花賞、優駿牝馬(オークス)、エリザベス女王杯を制し、中央競馬史上初の牝馬三冠を達成した。1985年度優駿賞最優秀3歳牝馬、1986年度同最優秀4歳牝馬。1987年顕彰馬に選出された。半弟に1989年高松宮杯の勝利馬メジロアルダン(父アスワン)がいる。

衝撃の初陣

inyofu  初陣の走りがまずは衝撃的だった。スピードの違いをひけらかすようにスタートから軽快に飛ばすと、後続をまったく寄せつけずに圧勝。2着のダイナボンダーに大差のリード、3秒1ものタイム差を開いた勝ちっぷりは、後の大成を予感させるのに十分なものだったが、旧3歳時に彼女が刻んだ衝撃はこの新馬戦だけにはとどまらなかった。続く京成杯3歳S(現京王杯2歳S)では道中の折り合いを欠いて4着に沈んだものの、仕切り直しの一戦として臨んだ寒菊賞を危なげなく快勝したメジロラモーヌは、暮れのテレビ東京賞3歳牝馬S(芝1600メートル)に駒を進める。そして当時は「関東の旧3歳女王決定戦」という意味合いも帯びていたこのレースで、彼女はデビュー戦に優るとも劣らない強烈な印象を刻んでみせたのだ。

快挙!史上初の牝馬三冠達成!

inyofu 1985年にデビューしたメジロラモーヌは、新馬戦からケタ違いの強さを見せた。スタートから先頭に立って終始レースを引っ張り、直線に入ってからはさらに後続を突き放して快勝。2着に3.1秒差、およそ15馬身もの差をつけての圧勝劇だった。続く2戦目の京成杯こそ牡馬相手に4着に終わるも、3戦目の条件戦で順当勝ちを収めると、テレビ東京賞3歳牝馬Sを制して、同年の最優秀3歳(現2歳※①)牝馬に輝いた。

 そして翌1986年、伝説を刻んだ。年明け初戦のデイリー杯クイーンCでは不覚(4着)をとったものの、報知杯4歳牝馬特別を皮切りに、桜花賞(GI)、サンスポ賞4歳牝馬特別、オークス(GI)と、トライアルとクラシックのすべてを制して二冠を達成。秋を迎えても快進撃は止まらず、トライアルのローズSを勝利し、エリザベス女王杯(GI)も好位置から直線で先頭に立つと、最後はスーパーショットの追撃を半馬身抑えてゴール。史上初の牝馬三冠(桜花賞、オークス、エリザベス女王杯※②)を成し遂げ、前哨戦と本番(GI)の6連勝という快挙まで果たした。
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三冠馬なのに…

inyofu そんな86年、メジロラモーヌは史上初の牝馬三冠(当時は桜花賞・オークス・エリザベス女王杯)制覇を達成している。この年の牝馬路線は、終始ラモーヌの独り舞台だった。前年の3歳時、重賞勝ちは12月のテレビ東京賞3歳牝馬S(現在のフェアリーSの前身、当時は芝1600M)だけながら、すでに「クラシックの最有力候補」と高評価。1月のクイーンCこそ4着と不覚を取ったが、それから何と重賞6連勝を飾った。今思い出しても、強いことは強かった。

ただ、見方によっては変化に乏しく面白みに欠けていた。1983年(昭和58年)のミスターシービー、84年のシンボリルドルフから間がなく、ファンが“三冠慣れ”していたことで目新しさが今ひとつ。強力なライバルが不在で、レース自体の盛り上がりが不足ぎみ。GⅠの2着馬はいずれも5番人気以下で、決して堅くはなかったのだが、オークス以降は何となくマンネリ感が漂ったのも否定できない。86年は牡馬クラシックが波乱続きだっただけに、穴党にとってはなおさらだった。
メジロラモーヌは1986年の有馬記念(9着)に敗れ、このレースを最後に現役を引退した。9着に敗れた最後の有馬記念が、この馬が最初で最後の掲示板を外したレースとなった。引退後は繁殖入りするも、体調面でのアクシデントなどの理由から、目立った産駒を送り出すことはできなかった。2005年9月22日、老衰のためメジロ牧場で死亡した。

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