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覆面馬主【血統の1号】日本ダービーの想い出

覆面馬主 血統の1号
その年、東京の街は、浮かれて疲れ果て、人々は札束にまみれていたが、オレはどこか冷めていた。
人々は、村上春樹のノルウェーの森を読み、24時間戦えますか?と聞き、カラオケボックスで光GENJIを絶叫していた。
それは、昭和最後の年、昭和63年のことだ。

西暦でいうと1988年。

バブル真っ盛りのこの年、土地も株も高騰の一途を辿っていた。
何でもかんでも投資すれば、すぐに儲かる!
みんながみんな、そんな法螺をうそぶいていたが、それが現実となってしまう時代だった。
とにかく世間は、金と根拠の無い自信でいっぱいだった、俗にいうバブル景気である。
不動産屋のおっちゃんが、10万、20万のお小遣いをくれるのが普通の事だった。

当時オレは、26歳の若造で、毎日のように一万円札を両手に持って高々と掲げ、イカレた先輩たちの為に、まったく捕まらないタクシーを停めようとしてた。

熱狂に乗り切れなかったのは、仕事上でも大きな転機を迎えていて、さあこれからが勝負だ!浮かれてはいられないぞ!という気持ちがあったからかもしれない。

そんな時に、地方笠松競馬から忽然と現れた芦毛の怪物に、いつしかオレは自分の姿を重ね合わせ、奴に負けず頑張らなくては!と真剣に思っていた。

奴の名は、オグリキャップ!

地方から出てきて、中央で連戦連勝。
その雑草魂と境遇とが自分に似ている気がして心惹かれていた。

オグリキャップは、クラシック登録をしていなかった為、この年のダービーには出走出来なかった。

そんな1988年の日本ダービー。

オレは、オグリキャップに並んで好きな馬がいた。
その馬の名は、サッカーボーイ!

今日の朝日杯(G1)を、8馬身もの差をつけて圧勝したサッカーボーイが、この年のダービー馬になるだろう!と確信していたのだった。
当時、美しい栗毛のこの馬は、テンポイントの再来とまで言われていた。

皐月賞は回避となったが、ダービーでも1番人気だった。

芦毛の怪物不在のダービー!
どこか乗り切れない冷めた感覚があった。

サッカーボーイが勝つと思っていた気持ちもいつしか消え、何を買おうか全く気乗りしない。
こんな日は、珍しい。

熱狂的な思い入れと金銭感覚を奪う自己暗示が無いと、大きな勝負は出来ない。

人々でごった返すパドックに行って、若駒たちを垣間見ていく。
コンディションがいい馬はどれだろうか・・・。

サッカーボーイは、まだどこかびっこを引いてるようにも見えた。
目を凝らして見ていると、一頭、凄い気迫を感じる馬がいた。

サクラチヨノオー。

マルゼンスキーの仔で、皐月賞はヤエノムテキの3着に負けていたが、うなるような出来の良さを感じた。

が、どうも今ひとつ好きになれない。

どうしたもんかな・・?
ここで馬券買うより、この先オグリキャップの単勝を買い続けた方がいいんじゃないか?
そんな心の声が聞こえる。

締め切りの時間が迫ってきた。
が、乗り切れない気持ちは消えず、この日オレは後にも先にもたった一度だけ、ダービーの馬券を買わなかったのだった。

レースは、サクラチヨノオーが勝ち、サッカーボーイは、15着に沈んだ。

何故だろう・・。単勝買ってたら取ったな、と思ったが悔しくもなかった。

馬券を一枚も買わなかったせいか、この年のダービーは驚くほど印象に残っている。

オレはその翌週、オグリキャップの出走するニュージーランドトロフィーへ行って初めて芦毛の怪物を間近で見た。
無駄な肉が全くない完璧なアスリートに見える。

この日、有り金をオグリキャップの単勝にぶち込んだが、楽勝で、単勝は120円だった。
東上初戦を圧勝で飾ったオグリキャップ伝説は、ここから始まったのだった。

そして、オレはそのオグリキャップを心のライバルと思い、仕事に打ち込んだ。
今から思えばオレもこの時代、仕事では、連戦連勝だった。

楽しいだけではない。
映し鏡のように、競馬は、いつもオレを奮い立たせてくれている・・・。



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