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オグリキャップ伝説!大逆転のサクセスストーリー

日本競馬のアイドルホースとして活躍したオグリキャップ。生涯成績は 32戦22勝 (地方競馬12戦10勝)(中央競馬20戦12勝)。今回はオグリキャップの伝説をまとめてみた。
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地方競馬の怪物現れる

オグリキャップは、2歳5月に笠松競馬場でデビューし、連戦連勝を重ねていった。
inyofu オグリキャップは1985年3月27日、北海道三石郡三石町の稲葉牧場で生まれた。父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビーの芦毛の牡馬として。馬主はホワイトナルビーの所有者でもあった小栗孝一。オグリキャップは、いわゆる仔分けの馬であり、小栗は稲葉牧場に評価額の一定割合(250万円とも500万円ともされる)を支払ってオグリキャップを自分の所有馬とした。生まれたばかりのオグリキャップは右前蹄が外向していて、なかなか自力で立ち上がれなかった。外向は競走馬にとって大きなハンデとなるが、稲葉牧場長の稲葉不奈男が削蹄で矯正に努め、成長するにつれて目立たなくなった。幼名(血統名)を“ハツラツ”と名付けられたオグリキャップは順調に成長し、86年10月になると岐阜県の美山育成牧場へ移され、3か月の馴致期間を過ごす。

中央競馬に挑戦

地方敵無しのオグリキャップは中央競馬デビューを果たす。
inyofu これだけ強いオグリキャップを“笠松の英雄”で終わらせるのはもったいない。特に芝の適性があることが分かってから、中央の馬主から小栗のもとへ、購買申込みが殺到した。笠松競馬に思い入れの強い小栗は中央競馬での馬主資格を持っていなかったのである。1988年1月、オグリキャップは佐橋五十雄に売却された。価格は2000万円。“中央の芝が向かなかったら鷲見厩舎へ戻す”という条件つきだった。河内洋を鞍上に、首をブルルと振ってゲート入りするオグリキャップ。後にトレードマークとなる“オグリの武者震い”は、このときすでに見られていた。そしてレースでは中団の最内から3角を過ぎて外へ出し、“持ったまま”の大楽勝。着差は3馬身でも、クラスの違いを印象づけるケタ違いの強さで、スーパーホース誕生を予感させるレースだった。

オグリブーム到来

inyofu 鳴り物入りでの中央入りとはいえ、このときのオグリ人気はまだ全国区といえず、単勝2番人気での初陣であった。

伝説の始まりは有馬記念!

6戦勝で天皇賞に挑戦するも、タマモクロスに敗れる。
inyofu オグリキャップ最初の復活劇が成ったのが続く有馬記念であった。岡部幸雄に乗り替わり、6~7番手追走から4角で進出、スムーズな競馬で直線先頭に立つと、タマモクロスの追撃を1/2馬身抑えて快勝する。1988年のベスト旧4歳牡馬の座を確定させたレースでもあった。

GI連闘と世界レコードの衝撃

1989年秋にはマイルCS制覇から中1週でジャパンカップに挑み2着に敗れるも、当時の世界レコードで走り抜けた。
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感動のラストラン

1990年秋のオグリキャップは大敗を喫し、衰えを見せながらも迎えたラストランで感動の勝利を挙げる。
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笠松競馬場という地方競馬から生まれたスーパーホースオグリキャップ。ビックレースで数々の中央競馬所属馬を相手に、最後まであきらめずに懸命に走る姿は多くのファンに感動を与えた。2007年に種牡馬を引退し、2010年に残念ながら、この世を去ってしまった。

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