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史上初の無敗の三冠馬シンボリルドルフ伝説

日本競馬史上4頭目の中央競馬クラシック三冠馬となったシンボリルドルフ。彼は無敗で三冠馬となり、伝説となった。今回はその伝説となった所以をまとめてみた。
皇帝

「皇帝」の名を持つシンボリルドルフ

史上初めて無敗で三冠を達成した。
inyofu 1984年、4歳初戦として弥生賞に出走。このレースはシンボリルドルフにとって3か月ぶりとなり、18キログラム増の馬体重で出走した。このレースではそれまで岡部が主戦騎手を務め4連勝中であったビゼンニシキが単勝1番人気となったがこれを1馬身4分の3差で破った。
皐月賞を制覇し、二冠を目指してダービーへ。
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inyofu 東京優駿(日本ダービー)はビゼンニシキとの「SBダービー」と呼ばれた。皐月賞に続いて揃って単枠指定とされた2頭の連勝複式馬券は銀行馬券と呼ばれ、今も投票額最高記録を維持している。しかし単勝ではオッズ1.3倍とシンボリルドルフの圧倒的1番人気だった。また回避馬が続出し、当時の戦後最少頭数となる21頭でのレースとなった。レースではスズマッハが逃げる展開となった。シンボリルドルフが向こう正面で岡部のゴーサインに反応しなかったために競馬場は騒然となったが、直線に入ると自らハミをとり3頭併せで先を行くスズマッハ・フジノフウウン・スズパレードを差し切り二冠達成。この出来事から岡部は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。無敗での二冠制覇はトキノミノル、コダマ以来3頭目の快挙だった。ビゼンニシキは14着と沈んだ。ここでも岡部は表彰式で二冠を示す2本指を立てた。
海外遠征白紙や故障などのアクシデントを乗り越えて菊花賞へ
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inyofu 秋緒戦、故障した右肩も回復し、すっかりリフレッシュしたシンボリルドルフはセントライト記念をレコードタイムで優勝。そして、三冠最後の菊花賞に挑む。道中は馬群の中団に位置し、第3コーナーではやや前の馬が壁になったものの、最後の直線で抜け出すと外から襲い掛かってきたゴールドウェイを4分の3馬身退け優勝。日本の中央競馬史上初の無敗でのクラシック三冠を達成する。表彰式では岡部が三冠を示す3本指を立てた。シンボリルドルフの後、現時点で三冠馬は3頭いるが、関東馬によるクラシック3冠はシンボリルドルフを最後に出ていない。
三冠達成後はジャパンカップへ。
inyofu 前走で天皇賞(秋)を制した前年の三冠馬ミスターシービーも出走し、史上初の三冠馬同士の対戦となったジャパンカップだったが、シンボリルドルフは下痢をするなど体調不良が大きく報道され、生涯最低の4番人気となった。1番人気はミスターシービーだった。しかし、レースは10番人気と前走の天皇賞(秋)から大きく人気を落としていた宝塚記念馬カツラギエースが逃げ切り勝ちを収め、史上初の日本馬のジャパンカップ優勝馬となった。シンボリルドルフはミスターシービー(10着)にこそ先着するものの、イギリスから参戦したベッドタイムにも及ばず3着と敗れ、連勝記録は8でストップした。
初の敗戦。王者復活をかけた有馬記念を制覇し、四冠目を手に入れる。
1985年は有馬記念なども制覇し、GI7勝で国内に敵なしとなった。
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そしてシンボリルドルフは海外へと挑戦していく

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現代の日本競馬の世界では、すでに伝説化されているシンボリルドルフ。そのレースぶりはもちろん、それに関わる関係者の話などこの馬から生まれたエピソードはつきない。これをきっかけにシンボリルドルフについて調べてみるのはいかかがだろうか。きっとあなたもシンボリルドルフの競争成績だけでなく、その生涯に魅了されるにちがいない。

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