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【菊花賞の思い出】ハナ差で逃した準三冠馬エアシャカール

2000年の皐月賞・菊花賞を制したクラシック二冠馬・エアシャカール。東京優駿(日本ダービー)をハナ差7cmで負けたことから、「準三冠馬」とも呼ばれている。今回はそんなエアシャカールについてまとめてみた。
馬キュレ

エアシャカールの血統

父はサンデーサイレンス。母はアイドリームドアドリーム。母父はWell Decorated。
半姉に優駿牝馬(オークス)2着、桜花賞と秋華賞3着のエアデジャヴーがいる。姪には秋華賞馬のエアメサイア、甥には有馬記念3着のエアシェイディもいる。現役ではエアソミュールが甥にあたる。

2歳時

馬主は「エア」の冠名でおなじみのラッキーフィールド。森厩舎に入厩し、武豊騎手を鞍上に1999年10月31日の東京芝2000mでデビュー。新馬戦は輸送等も影響し5着という結果となってしまったが、次の未勝利で快勝。年末のOPホープフルSを勝利すると、クラシック候補の1頭として注目された。

また、エアシャカールは激し過ぎる気性が難点であった。そんなエピソードも多々ある。

皐月賞制覇

3歳になったエアシャカールは、G2報知杯弥生賞から始動。前哨戦は2着に敗れはしたものの、本番のG1皐月賞は2人気でむかえることとなった。結果、2着のダイタクリーヴァにクビ差で勝利し、見事クラシック最初の一冠を手にした。
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ダービーはハナ差で届かず・・・

皐月賞を制したこともあり東京優駿(日本ダービー)では1番人気に支持された。しかし、3番人気のアグネスフライトにわずかな差で負けてしまう。
inyofu アグネスフライトの河内洋騎手とエアシャカールの武豊騎手。兄弟弟子にあたる2人がダービーの大舞台で熾烈な一騎討ちを演じたのだ。
 複数の先行馬が絡み合うようにして進んだレース。エアシャカールが縦に長く伸びた隊列の後方3、4番手、アグネスフライトは最後方と、序盤から中盤にかけてはともにじっくりと脚をためて進んだ両馬は3コーナー過ぎから相次いで進出を開始、息の長い末脚で前をのみ込みにかかる。そして直線、先に抜け出していったんはリードを開いたエアシャカールに、外からアグネスフライトが襲い掛かり、激しい攻防が幕を開けた。河内洋騎手には悲願のダービー初制覇が、一方の武豊騎手には前人未到のダービー3連覇がかかっていた。互いの意地と名誉を真っ向からぶつけ合って、たったひとつしかない勝者の椅子を目指した2頭と2人。そして実際、何度も馬体が接触する場面が見受けられた壮絶な叩き合いの軍配は、10センチにも満たないハナ差で兄弟子にあたる河内洋騎手のアグネスフライトに上がったのだった。
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菊花賞制覇

東京優駿(日本ダービー)が終わると、イギリスのG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ出走。結果は5着。帰国後、菊花賞の前哨戦G2神戸新聞杯へ出走するも気性の問題で3着。本番のG1菊花賞は2番人気で迎えこととなった。

エアシャカールには内によれる癖があるため、菊花賞ではリングハミを装着。レース中も内ラチ沿いを走り、戦略が功を奏し2着のトーホウシデンにクビ差で勝利した。
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2003年に急死

古馬になってから勝利には届かず、2002年の有馬記念を最後に引退。種牡馬となったエアシャカールであったが、北海道・門別のブリーダーズスタリオンステーションで放牧中に暴れて骨折、そのまま安楽死処分が取られた。引退してわずか3か月後の出来事であった。
ブリーダーズスタリオンステーションにエアシャカールの墓がある。
残された産駒はわずか4頭。2006年10月24日にエアーミラクルがホッカイドウ競馬で勝利し、エアシャカール産駒の初勝利となった。また、中央でも2007年7月28日にエアファーギーが函館の未勝利戦を勝利し、エアシャカール産駒がJRAで初勝利をあげた。産駒4頭すべてが牝馬で、そのうちの2頭が繁殖入りして仔を生んでいる。エアシャカールの名前は母系でつながっている。


エアシャカールは残念ながら早くに亡くなってしまったが、繁殖入りしたエアファーギーの仔、ヤコウレッシャが2016年10月12日に門別で勝利を挙げるなど活躍をみせている。エアシャカールがもし生きていたら素晴らしい種牡馬になっていたかもしれない。残されたわずかな仔たちの今後の活躍を願いたい。

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