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【天皇賞(秋)の思い出】わずか3歳で天皇賞制覇!バブルガムフェロー

1996年の天皇賞(秋)を制したバブルガムフェロー。2歳時(当時は3歳表記)には朝日杯3歳Sを制し世代の頂点へと立ったが、翌年の皐月賞の前に骨折。クラシックを断念することになったが、復帰後に天皇賞(秋)を勝利してしまった。そんなバブルガムフェローについてまとめてみた。
馬キュレ

2歳時にG1制覇(当時は旧表記で3歳)

バブルガムフェローは父サンデーサイレンス、母バブルカンパニー、母父Lyphardという血統。近親には、菊花賞馬ザッツザプレンティやダービー馬ディープブリランテがいる。

オーナーは社台レースホースで、美浦の藤沢和雄厩舎に入厩。
1995年10月7日に東京芝1800mでデビュー。岡部幸雄騎手を背に、初戦は3着という結果だった。しかし2戦目には快勝。OPの府中3歳Sを勝つと、朝日杯3歳Sへと向かった。

バブルガムフェローは1人気に支持された。最後の直線で先頭にいた2人気エイシンガイモンを捕らえて見事に優勝した。
2着に敗れたエイシンガイモンの鞍上・武豊騎手のコメントからも、バブルガムフェローの能力の高さが伝わる。
inyofu 興奮を抑えきれない表情だったのが2着に敗れた武騎手。 「僕の馬も良く伸びているんです。それを差し切るんだから勝ち馬の決め手は凄い。びっくりした」
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ちなみに優勝タイムの1:34.2は、当時の歴代2位に相当する時計。
そして、バブルガムフェローはこの年のJRA賞最優秀3歳牡馬(現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)に選ばれている。

クラシック前に骨折

翌年の1996年は、皐月賞の前哨戦であるスプリングSから始動。1番人気で勝利し、クラシックへの期待も高まっていた。
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しかし、皐月賞の1週間前に骨折が判明。全治6か月と診断され、皐月賞と日本ダービーを断念することになる。

復帰

全治6か月と診断されていたが、夏には回復。クラシック最後の一冠である菊花賞へと挑戦する道もあったが、バブルガムフェローの距離適性を重視し、古馬とのG1である天皇賞(秋)へと向かうことにする。

前哨戦のG2毎日王冠では、骨折明け+古馬と初対戦だったが、3着と好走した。

天皇賞(秋)制覇

天皇賞(秋)では、遠征中の岡部幸雄騎手に代わり、蛯名正義騎手が騎乗した。
inyofu  この年の秋の天皇賞にはサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーといった例年に比べても強力な古馬勢が揃っていましたが、“勝算あり”の藤沢調教師の言葉を証明するように、バブルガムフェローは好位追走から直線で力強く先頭に立つ正攻法のレースで、並居る強豪古馬を完封。ゴール前でマヤノトップガンに並ばれながらも最後まで抜かせなかった勝負根性には、岡部騎手の代打騎乗で見事に大役を務めた蛯名正義騎手も、 「よく辛抱してくれた。GIを初めて勝つことができて、バブルには頭が上がりません」と、感謝の言葉を繰り返し口にしました。
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3歳馬の秋の天皇賞出走が認められた昭和62年以降に、3歳で勝利した馬はバブルガムフェローとシンボリクリスエスの2頭だが、その両馬とも管理していたのは藤沢和雄調教師である。
(第13回の1943年までは「帝室御賞典」という名で行われていて、そのときに3歳で勝利したのは1頭のみ)

バブルガムフェローのCMがかっこいい!

2013年のJRAのCMでは、天皇賞(秋)の時はバブルガムフェローが使われていた。
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引退後は種牡馬になったバブルガムフェロー。2010年に肺炎で亡くなり、現在はブリーダーズ・スタリオン・ステーションに墓がある。産駒ではオーストラリアでCandy Valeがの活躍していた。

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