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【ジャパンカップの思い出】大器晩成型!タップダンスシチー

2003年の6歳時にジャパンカップを制し、7歳時には宝塚記念を制覇したタップダンスシチー。5歳以降に重賞7勝を挙げた晩成馬である。そんなタップダンスシチーについてまとめてみた。
馬キュレ

デビューまで

タップダンスシチーは父プレザントタップ、母オールダンス、母父ノーザンダンサーという血統。
inyofu 父プレザントタップは1987年米国産、2~5歳時に32戦9勝、GⅠジョッキークラブGC、GⅠサバーバンH、GⅠブリーダーズCクラシック2着、GⅠケンタッキーダービー3着。主な産駒はタップトゥミュージック(GⅠガゼルH)、アイビリーヴインユー(GⅠハリウッドスターレットS)、デビットジュニア(英チャンピオンS)。母オールダンスは1978年米国産、仏1勝。半兄カレッツア(米仏5勝、GⅢヴァイオレットH2着)。おばにウイニングカラーズ(ケンタッキーダービー)。
外国産馬で、優駿ホースクラブで一口募集された。栗東の佐々木厩舎に入厩。

2000年 デビューから初重賞制覇まで

2000年3月4日に阪神競馬場の芝2000m新馬戦でデビュー。デビューは9着に終わる。

4歳で初めて挑戦した重賞のG3京都新聞杯で3着と奮闘。その後は自己条件から少しずつ力をつけていき、主に2000m以上の中・長距離をつかっていった。

2002年(5歳時)のG2日経新春杯では、格上挑戦ながら軽ハンデ52kgを生かして3着に入ると、その後1000万下、1600万下を連勝しOP入りを果たす。

さらにその年の9月、G3朝日チャレンジCを制して初重賞制覇。このときの鞍上・佐藤哲三騎手は、今後タップダンスシチーの主戦騎手となる。

暮れの有馬記念では持ち前の持続力でロングスパートをかけ、13番人気という人気薄ながらも2着に入り、いよいよ本格化する。
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2003年 ジャパンカップ制覇

2003年(6歳時)は4月から始動。OPを勝利すると、続けてG2金鯱賞も勝利。G1宝塚記念では3着と惜しくもG1タイトルには手に届かなかったが、休養を挟んで秋の1発目・G2京都大賞典は快勝。ジャパンカップへと絶好のコンディションで向かった。

4番人気で迎えたレース。1枠1番から好スタートを決めて逃げると、淀みないラップを刻んでそのまま逃げ切り勝ち。9馬身差をつけて、後続を完封した。
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2004年 宝塚記念制覇

2004年(7歳時)、G2金鯱賞でサイレンススズカが保持していたタイムを0.3秒縮めて勝利。その勢いのまま宝塚記念へ挑む。

宝塚記念を1番人気で迎えると、先行して3コーナーで逃げ馬を交わして先頭に立つとそのまま押し切り勝ち。2:11.1のレースレコードを記録した。これでタップダンスシチーはG1・2勝目となった。
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宝塚記念後、凱旋門賞に挑戦するも・・・
inyofu その秋、輸送機のトラブルに巻き込まれ、レースの2日前に現地へ到着する強行軍を余儀なくされた凱旋門賞こそ17着に大敗したものの、帰国初戦の有馬記念では万全とはいえなかった状態面を闘志でカバー。ゼンノロブロイと壮絶な一騎討ち(2着)を演じてファンの心を強打した。
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金鯱賞3連覇達成

2005年、タップダンスシチー8歳。3連覇がかかる金鯱賞では、単勝オッズ1.4倍の断トツの1番人気に支持される。

レースではいつも通り逃げると、後続のヴィータローザに2と1/2馬身差をつけ逃げ切り勝ち。1956~1958年に鳴尾記念を3連覇したセカイオー以来の平地同一重賞3連覇の快挙となった。

通算成績は42戦12勝。優駿ホースクラブで6万円×500口の3000万円での募集であったが、後に10億をも稼ぐ馬へとなった。ちなみに外国産馬では唯一の10億ホースである。5歳以降に重賞7勝という晩成型で、G1もジャパンカップと宝塚記念を2勝、金鯱賞も3連覇と大活躍した馬だった。

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